溝の口の近年までの歩みと発展の経緯
- 2018/1/26
- 地域情報
溝の口の近年の歩み
溝の口は神奈川県川崎市高津区にあります。渋谷駅から駅でいうと3つ目、東急田園都市線で約14分と好立地で、JR南武線も乗り入れているためアクセス抜群です。JR南武線を利用すれば、川崎までも約20分で行くことができる、現在では川崎の交通の要所ともいえる場所になっています。
そんな溝の口ですが、近年までなかなか再開発が進まない地域でした。江戸時代から宿場町として栄えてきた歴史があり、江戸庶民の信仰と娯楽の旅として有名な「大山詣」の拠点が溝の口です。「大山詣」の拠点として栄え、大山道は静岡のお茶や、泰野のたばこ、相模川のアユなどを江戸に運ぶ商業ルートでもありました。
こういった商業ルートの名残でもある、明治に開業した老舗の商家は現在も残っています。
戦後の溝の口
戦後この溝の口の再開発はなかなか進みませんでした。終戦直後は闇市があり、その面影は再開発が終わるまで残っていたほどで、街が変わったのは2000年に入ってからです。
溝の口駅周辺の商店街でも、西口商店街は今でも当時の雰囲気があります。1989年に「かながわサイエンスパーク」が誕生し、少しづつ変わり始めました。
ノクティー誕生で大きく変わり始める
1997年に溝の口の再開発の象徴ともいえる再開発ビル「ノクティー」が誕生します。ノクティーは2棟からなり、マルイや市のホールにレストランや様々なショップが入りました。このノクティーにより、飛躍的に生活利便性が向上し、それと共に駅前の風景が大きく変わりました。
翌年にはJR武蔵溝の口の改装が行われ、南北方向に自由通路が完成し駅周辺の使いやすさも改善され、様々なテナントビルや商業ビルが建設されたこともあり、溝の口は急激に変貌しました。
昔ながらの商店街も頑張っている
こうして、急激に発展を遂げた溝の口ですが、新しい駅ビルやテナントビル、商業ビルに負けじと、昔からある商店街も頑張っています。地元密着の様々なイベントを行なったり、値段などに工夫を凝らしたりと、地元密着で努力を重ね、再開発で生まれ変わった溝の口とうまく共存を果たしています。
この様に再開発の波にのまれず上手く共存を果たすことは容易な事ではありません。こうした溝の口にいらっしゃる様々な人々の努力があり、現在の魅力的な街があるのだと思います。これからもより一層魅力的な街として進化していく溝の口から目が離せません。