高津駅、その歴史

渋谷から田園都市線に乗って、9駅目となるのが高津駅です。駅が完成したのはいつなのか、また、どのように進化していったのか、その他四方山話を織り込ませながらお伝えします。

■まずは高津の歴史から・・・

駅周辺の歴史について簡単にお話します。ただの農村だった高津を大きく変えたのは、江戸幕府により大山街道として、整備されたことが始まりです。起点は赤坂御門(現在の東京ガーデンテラス付近)で、終点は神奈川の伊勢原を結ぶ街道の一つであり、大山阿夫利神社へお参りする人たちだけでなく、相模の名産物を江戸へと運ぶ役割を果たしていました。

京や伊勢神宮までは江戸から遠くても、江ノ島や大山は長くて3日以内でたどり着く距離のため、江戸庶民にとって安く旅行ができるスポットとして人気がありました。余談ですが大山といえば、東京・板橋や沖縄・宜野湾にも同一地名がありますが、これらとは全く関係ないものと思ってください。

では、本題に入りましょう。高津は大山街道の宿場街の一つであり、街道増には蔵造りの商店が多かったのは事実です。二子新地の商店街や高津の溝口大通りは、その名残ともいえます。江戸から明治、大正へと時代は変わりましたが鉄道はまだできていなかったため、橋ができるのは大正14(1925)年まで待つことになります。

橋が架かり、昭和初期には宿願の鉄道が溝の口まで伸びることになりました。

■コードネームDT09

タイトルについては、高津駅のナンバリングです。渋谷がDT01なら、高津駅は9番目の駅となるわけです。

昭和2(1927)年7月15日、渋谷から電車がやってきました。玉川電気鉄道(通称:玉電)という鉄道会社が二子玉川園から二子橋を経由して、溝の口まで乗り入れる形で開通しました。車両は路面電車ですが、高津から渋谷まで乗り換えなし一本で行けるというメリットは大きいものでした。高津が開業したのはちょうどこの日でもありました。

そもそも玉電の目的は、多摩川沿いの砂利を都心へと輸送するために建設された路線で、旅客は二の次といったところでしょう。砂利輸送は昭和10(1935)年前後に終了し、旅客に専念するようになりました。

昭和18(1943)年7月、溝の口~高津~二子玉川園は大井町線に編入され、線路の幅を修正され、砧本村や三軒茶屋や渋谷への直通運転は取りやめる代わりに大井町へとの直通運転へと改めました。これにより、渋谷への直通はいったん終わる形となります。しかし、二子橋を大型サイズの電車が走る光景は異例で、車を運転する人たちにとっては冷や汗ものでした。

昭和41(1966)年、大井町線改め田園都市線は溝の口から横浜の長津田まで延伸され、同時に二子玉川園~溝の口間は高架化されました。地平駅時代としての高津は役目を終え、今の高架駅へと生まれ変わりました。

玉電の廃止は終戦からしばらくした昭和44(1969)年、交通渋滞悪化による玉川線の運転遅延などといった要因が重なり結果的に廃止することになりました。代替路線は新玉川線で、田園都市線との直通運転を行うものであり、未来の地下鉄線との直通運転を視野に入れての作り直しでした。

昭和52(1977)年には待望の新玉川線が開通しました。しかし、区間は二子玉川園~渋谷間まででしたので高津へは乗り換えがメインとなりました。(長津田への直通列車の設定あり)
これにより、渋谷への直通列車は少ないながらも8年ぶりの復活はありがたいものでした。

そして、昭和54(1979)年にはかねてよりの念願だった地下鉄半蔵門線との直通運転がスタートし、田園都市線の全部の列車は新玉川線を介して都心へと直通しました。高津から都心へ乗り換えなしで移動できる時代は本当の意味で復活したのです。なお、半蔵門線は平成15(2003)年に全線開通し、北千住や春日部、南栗橋・久喜方面はともかく、後年開業した東京スカイツリーへ乗り換えなしで行くことができます。

平成19(2007)年、大井町線を溝の口まで乗り入れる工事をすることになり、二子玉川~溝の口間は複々線工事のためリノベーションすることになりました。
長津田方面(下り)→11月11日に、渋谷方面(上り)→12月23日にそれぞれ移設されました。なお、渋谷方面はその翌年の6月29日に今のホームへと移転しましたが、下り線と比べホームの位置がずれるという現象が起きました。

そして平成21(2009)年7月11日、大井町線の電車が溝の口に乗り入れが始まりました。しかし、高津については二子新地同様一部の列車が止まる程度にしか過ぎず、基本的には二子玉川での乗り換えとなります。

■高津の名所といえば・・・

高津駅の名所を挙げるとしたら、電車とバスの博物館が真っ先に思い浮かぶでしょう。昭和57(1982)年4月に高津駅の高架下を有効利用するために東京急行が資料館という位置づけで開業しました。なお、開業当時の入館料は10円でしたが移転後は200円です。

しかし、前述の複々線化工事及び震災対策などに伴い平成14(2002)年に閉鎖され、キャパシティ的に余裕があった宮崎台へ移転したのはその翌年春になってからのことでした。

それ以外にも、大山街道沿いに資料館があり江戸時代からの歴史を学ぶことができます。

■同姓同名

ここでは、ちょっとしたおまけとしてお読みいただければ幸いです。高津駅は田園都市線の駅だろと思われがちですが、実は関西にも同じ名前の駅が存在します。

場所は京都になりますが山陰本線の「高津駅」で、福知山から西舞鶴行の普通列車で2駅目です。神奈川の高津駅と比べのどかな田園風景そのものであり、完全な無人駅です。しかし、券売機はしっかりと備え付けられています。
でも、玉電時代の高津駅もきっと、周りがのどかな田園風景だったのでしょうね。

■まとめ

高津駅の歴史を話すつもりが、結果的に四方山話を織り交ぜた形として構成しました。こうしてみると都心と高津を結ぶための路線だけでも、歴史に翻弄される形で東京川の着地駅が異なった時期があることや、大山街道と非常にゆかりがあることを思い出していただければ幸いです。

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